昭和45年7月30日 朝の御理解 (末永信太郎) №45-093
御理解第六十一節
神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。
尽きぬおかげを話にしておくのぞ、と。お徳を受けるということ。その、お徳には、いわゆる限りないおかげが約束されるわけですが。信心して、そういうおかげを一つ受けなければならんということだと思うですね。信心して、ただ、それまでといったようなおかげではなくて。もう、それからのおかげ。しかも、限りのないおかげ。そういうおかげを、金光大神は話にして残しておって下さる。
目先目先のおかげのことではなくて、お徳を受ける、いつまでもいつまでも続いて、おかげの受けられるような、おかげの話を残しておって下さってある。ね。だから、信心して、そういう信心をさせて頂いてということ。おかげを受けたら、神心となりて、人に丁寧に話をして行くのが、真の道を踏んで行く。いよいよお徳を受けて、いよいよ真の道を、これはお徳の世界というのは、また限りがないことですよね。
お徳を積んでいくとか、高めて行くということは、もう限りがない。そして、いよいよ、そういう真の道を、または真の信心をさせて行くのが、神様へのお礼になること。それが、いよいよ神になるのぞとまで教えておられる。神より上になるとは思うな、と。そこで思わせてもらうこと、段々おかげを受けてまいりますと、自分では気がつかない内にね、自分が過去において、ああいう信心をさせてもろうた、ああいう修行をさせてもろうたから、今日、こういうおかげを受けたという風に思うんですね。それが間違い。
自分が、私がしたから、と。ね。また、それよりもう少し程度が下がると、私が働いたから、これだけ儲け出したといったようなことになって来る。私のやりようがよかったから、これだけ家は繁盛してるんだ、という思い方が、もうその、言いもせん、思いもしよらんごたるけれども、その中にです、そういうものが出来てくる証拠にですね、もう、自分のおかげの頂いておる殻の中に閉じこもってしもうて、信心のけいこもより高めようともしなければ、ね、より、それを人へ伝えて行こうというような気持ちも起こらん。
もう、それはね、すでに神より上になっておることだと思います。ね。自分の働き、自分のやりようが良かったから、今日これだけ繁盛しよるという思い方があるとすりゃあ、もう、神様はどこさへ行ってござる。もう本当に、一から十まで、神様のおかげなればこそ、今日のこの繁盛があるんだ、と。なるほど、あの時にあのような修行をさせて頂いたが、考えてみると、させて頂いておったんだったというようにですね、いつも神様がそこへ中心に出て来ると有り難いけれど。ね。
いわゆる、私が一生懸命に頑張ったから、ね、私が一生懸命修行したから、私がやりようが良かったから、今日、例えば商売なら商売が軌道に乗ったんだ、繁盛して行きよるのだ、というような思い方になっておるその印にですね、もう、その修行もしようとしない、人へ伝えて行こうということも、いわゆる、自分のおかげの中に閉じこもってしまう。
もうすでに、神より上になるというような気持ちが、もう、これはある訳ですよ。私はここのところに当てはまるかどうかは分からんですけれども。一つ、私が昨日の体験を聞いて頂いて、今、私が皆さんに聞いてもらったようなところと、こう、つがみ合わせて、一つ聞いてもらいたいと思うんです。
実は今日は、私の方の御霊さんの式年祭があります。先生方にお願いして、仕えて頂きたいと、こう思うておるわけです。ですから、昨日は私、お供え物を買いに、久留米にやらせて頂いたんです。高橋さんの車で、そして、久富さん一緒に行って頂いて、たくさん荷物になりますからね、行ってもらって。それで、その、お供え物買いなんかは、そう大したことないですけども、あの、偲び草とか、引きもんなんかは迷いますよね、どういうものをしたら良いだろうか、と。
もう、三階行ったり、四階行ったり、ほれで、もう最後のあの偲び草を買う時には、もうとにかく体がきついんですね。もう、こうして手ば上ぐごとでんなかごときついです。だから、もう高橋さんに、とにかく私はきついから、これはもう、あんたがよかごと決めちから、あなたにお任せするから、あの、向こうのちゃんと荷造りをしてもろうて、私は下で休んどくからと言うて、一番下の飲み物コーナーがあります。あそこのところに、長椅子に、もう恥じも(外見?)もない、あそこへ、もう、(おおなかしなって?)、その待っております時間の長いこと、もう、ちょっときついとです。
ほれで、まあ、後果物だけ買えばいいですからち言うけん、もう、果物は明日にして下さい。もう、私はとにかく帰らなきゃ、とにかく、もう私は体がきつうして堪えんと言うて、あの、あと本当に果物だけを買えば良いのに、果物だけを買わずに帰ってくるほどに、もちろん自動車の中でも長うなって寝てまいりました。ここに下りてから、こちらへも出て来る、もう元気がなくて、ここの廊下から自分の廊下まではどげんして行ったじゃ覚えんごとして行っとります。
そして、もう休んだきり、もうとにかく体がきついですから、久富さんがずうっと、もう上下さすったりなでたりしてからですね、して頂いて、まあ、休んどるわけですね。ちょうど一時の昼の御祈念の時には、私ご無礼しました。今日はお供え物の帰りが、もし遅くなってはいけんから、私は出掛けにちょうど頂いておりました、ここに書いておりましたから。それを読んでもらい、しておりましたから、御理解もちゃんと頂いてございましたからね。
そして休んでから、三時、ちょうど三時に目が覚めました。まあ、それでね、私はあの、昨日はちょうど、四時の御祈念に、四時から御祈念に合わせて、福岡の徳久さんところのお父さんの御霊様の式年祭があるようになっとりました。まあ、体はまだきついもんですから、もう、今日ばっかりは仕様はないから、若先生が仕えてもらわにゃ出けん、と。
敬親会もあってましたけれども、今日は、もうご無礼せにゃ仕様ないと思うて、また三時から休ませて頂いて、ウトウトさせて頂いた。そしたらね、その、三時から三時半までの間にお夢に頂いとります、三十分の間に。それはどういうお夢かと言うと、三代金光様が、こう紋付袴をお召しになって、ここに真っ白い大きな菊の花の、ここにこう、胸にお付けになってね。こう、正面を向いて、その椅子にかけておられる。
それを沢山な人が、金光様の前を通る時に、一人ひとり恭しゅう、もう子供達もちゃんとこう、七五三のようなきれいに着飾った子供達が、やっぱりその前に出てはとご挨拶をすると、金光様がもう一人ひとりの上に、本当、深く深くその御結界でね、お取次ぎを願うと、もう誰が行っても同じに頭を下げて下さっておられたあのように、一人一人下げておられる。それで、私の番になりましたから、私( )にまいりましてから、本当こう、お礼をさせて頂いたら、それこそ深々と返礼をして下さる。
ただ、はあ、有り難いことだなということだけで、まあ、目が覚めた。はあ。金光様、お別れしてから、もう初めてお夢。しかも、ありありと正面を向いてお座りになっておられるのに、こちらがお礼をさせて頂いたら、金光様もまたお礼を帰してくださった。もう、それだけである。また、それからうとうとしとる。
そうしたらね、またお夢の中に、はがまがかかってる。下の方をマキを一生懸命燃やしてある。ところが、フッと見るとですね、そのはがまには水が入っていない。はらがま炊きよる。ほれは、こげなことをしよんなら、(はらもあわれてしまう?)と思うて目が覚めた。そん時に私は、やっぱちょっと、その、ビックリ致しましてね、床の上へあがって御祈念させて頂いたら、もう、二十年にもなりましょうか。私が椛目で、あの両親の部屋にしておりましたら、あの部屋が出けて間もなくの頃でした。
私があそこで、ちょっと体の具合が悪かったんでしょうね。昼で、昼に寝るようなことないですから、悪かったんです。休ませて頂いておりましたら、お夢を頂いておる。その時、いわゆる、金光様のお夢を頂いて、その金光様のお夢があまりにも勿体無いから、感極まって感泣しておる時に、母が部屋に入って参りまして、先生どうしたの、どうしたのと、揺り動かされてから、ああ、夢の中で泣いておる私だったことに気がつかせて頂いた時がですね、ちょうど私がご本部参拝をさせて頂いて、まあ、言うならあそこに、ちょうど公子さんが今座っとるところ辺りに、私が座って御祈念しよる。
金光様はもちろん御結界に座っておられた。金光様がお立ちになったから、あらあ、御祈念か何かなさるんだろうかと、私は思いよった。ところが、このお広前の方へ下りてみえて、ちょうど私が座っておる斜め、一軒か一軒半ぐらいなとこへ座られてからですね。そして、私の方へジーッと、こうやって向きを返られてから、もう、それこそ畳に手をついてから頭を下げられた。
もう、それがもう、勿体無うして勿体無うしてたまらんのだけん、その、感泣しよる、泣きよった。ほれで母が、どうしたかと言うて起こしてくれたのであった。ね。
当時、まあ、まだ教会でもない、教師の資格も持たない。まあ、色々な問題はたくさん山積みしておる、そのような時分でございました。そういう例が、やっぱりありますね。甘木の初代なんかも、そういうおかげを受けておられるですね。で、そん時に私がですね、もう私がどういう立場にあっても、どういう中にあってもです。ね、金光様が手をついて私に頼みござるということなんです。
世の中に難儀な氏子がたくさんある、どうぞ取次助けてやってくれと、教祖金光大神に天地の親神様が頼まれたように、ね、三代金光様が私に手をついて、世の中に難儀な氏子が沢山ある。今のあんたの立場というのは、それこそ色々な非難ごうごうで、そういうところも様々あろうけれども、黙って一時辛抱しておってくれ。一時人の助かることのために、修行させて頂いてくれというようなものを、ものは一言も仰らんけども、そういうものを感じとった。
金光様が手を下げて、私を頼みござると、こういうこと。ね。私は昨日、その時にですね、その思いました。本当に、20年前に、そういう金光様にお頼みを受けておる。例えば、今日、先ほど頂いたばかりのお夢は、もうたくさんの人が、それは、老いも若きも子供でも、金光様の前に出て頭を下げられると、いちいち深く礼をされた、される。
こちらが礼を、頭を下げたら、金光様も下げられるけれどもです。私の場合は、金光様が手をついて頭を下げてござるということなんです。先ほどの、その有り難いことだと思うたけども、感動も何も湧かない。こちらが頭を下げたら、金光様もただお夢の中に、もうそれこそ久しぶりとありありと拝ませて頂いたということが、有り難いという事だけだったけれどもです。後のお夢を頂いて、20年前のことを頂いてです、初めてですね私が思った。ただ金光様が深々と頭を下げられるだけなら、誰にだって下げておられるのだということ。けれども、金光様の方が先に手をついて頭を下げられるという人が、何人おるか。
そういう、例えば有り難いほどし、有り難いおかげを頂いておる私がね、どういうことになっておるのか、と。一時の御祈念と言やあ、もう皆がそれこそ燃えるような、いわばマキちゅうか、心をここに結集してなさっておられるのに、その一時の御祈念にも出ていない。これから、御霊様のお祭りを四時から仕えなければならんのを、とても今日は難しかから、若先生に仕えさせにゃ出けん。私はご無礼しようと思うて休んだ、その三時から三時半の間に、それを頂いた。
もうそれこそ、もう、それこそ飛び起きるようにして、私はすぐ、お風呂を頂きましてね。それから、まだ敬親会の方達もお話になっておられましたから、その、霊祭を仕える、あそこへ14~15分間の時間だけを、その今、私が頂いたばっかりのお話を聞いてもろうて。こんなことだったと言うて、お話も聞いてもろうて、それから霊祭。いわゆる、御霊様のお祭りを仕えさせて頂きました。
私はそれから思わせて頂くんですよね、いわば、ね、まあ、そうなってしまっておる訳じゃないけれども、そういうところからです、今日は私がここの六十一節から頂きますようにですね。それこそ、限りないおかげを頂いておりながらです、それを人へ伝えて行こうという働き。しかも、金光様から手をついて頼まれておるほどしのおかげを頂きながら、私はそれを疎かにしておったということをですね、気付かせて頂いた。ね。だから私は、そのお話の中からね、これにぴったり合うか合わないか分からないけれども、先ほど私は申しましたことと、こう思い合わせて。ね。
そういうことからです、段々、一言が二言、二言が三言です、もう、若先生に任せてとか。こんなに体がきついのだから、もうご無礼してとかと、本当に金光様があの時に手をついて頼みなさったことを思うたら、そげな元気が出るものをです、ね、疎かにしておるということは、私は、ね、神心となりて、人に丁寧に話をして行くという心が、もう、少しでも私は薄らいだんだと、こう思います。ね。
これが、もう薄らぎきったら、どういうことになるでしょう。それこそ、おかげを受けて、私が修行をしたから、こんなおかげを頂いておるんだというようなことにでもなったら、もうお終い。たくさんありますよ、ここの御信者の中でも。おかげを、ね、少しばかりのおかげを受けたら、もうそのおかげの中に閉じこもってしもうて、さあ、こうして教会あげての修行にすら出て来ないという、おかげを受けておる者が出て来ないです。そういう事実があるでしょうが。ね。
もちろん、人に、神心となりて伝えて行こうなんていう気持ちは、もう、さらさらない訳ではなかろうけれども、自分から積極的にお話でもして、導きでもしようかというような心持ちは起こって来ない。もう、すでに神より上になる心が、もうそこに掬って行き、そういう芽が出よる、と。私の商売のやり方が良いけん、商売が繁盛しよるとと思うとるですから。
自分のやりかたがよかから、ね、だから金になることなら、どげなこっでん、平気でやろうちゅうごたることにすらなってくるのです。ね。信心によって、神様のご神意に添うから、商売が繁盛しよるとは思うとらん。自分のやりようがよかけん、商売が繁盛しよると思うから、それこそ御機感にかなわん商売でん何でん、やってみろうかちゅうごたる気が起こってくるです。ね。
そういうことになっては、ならんわけです。昨日、私、だいたいこの糖尿病というのは、時々、もうそれはどんこんされんごときつうなる。けど、昨日のは特別でした。けども、昨日私は思わせて頂いたのはね、今日のやはり御霊達が、今日のお祭りを受けます、中心になるその、私の婆の妹になる人です。その人が中心になって、今日はお祭りを受けるわけですけども。
それは、子供がなかったもんですから、私どもに(かかりゅう?)のようにして、私の方におられたお婆さんなんです。ですから、私にもその、何か芯からのその、何ちゅうですかね。いわゆる、思いも真心も、込もらんのですよね。だいたい、その婆さんにお世話になっとるわけじゃないもんですから、私は。ね。
ですから、何かその芯からのものが、なかなか、その起きて来ない。ね。例えば、んなら、いつも一時の御祈念に皆さんが燃えるような中に、私は体まであったというような事もでしょうけれども、その御霊様なんかは、それこそ、まあ、十年に一遍のそのお祭りを受けられる。それこそ、滾るような喜び、思いを持って待ってござるのに、こちらの思いがひとつもないもんですから、ね、お供え物やら買い、整えさせて頂いて、あれもこれも整うて、後はもう果物ひとつという頃になってから、もう、それこそ恥じも(痒う?)もなかごと体がきつうなって、帰らせて頂いたといったようなこともですね、そこのところを、私の思いの欠けておるところをですね、に、体の上にああいうお知らせを頂いたんだなとも、今からは思います。
まあ、本当に、いよいよ、そういうところを心して、今日のお祭りは奉仕させて頂かなければならんなと思うとりますがですね。それは、なら、御霊様の上だけではありません、人間の上においてもそうです。ね。皆さんが一生懸命、滾るような熱湯を捧げておられるのに、私は体がきついからと言うて、寝ておる。それでは、ちょうど、空釜を炊くような結果になるというようなお知らせを頂いて。ね。
そん時に、なかなか、初めて弾かれたように気がついたことは、二十年前、金光様が私に手をついて頼んでござることを思わせて頂いたら、とてもそのぐらいなことで寝ちゃおられない。もう、本当にお湯を頂いて、お水をシャワーでシャーッと体かけさせて頂いたら、もう別人のように体が、嘘のようにおかげを頂きましたです。おかげで、本当に有り難い御霊さんの、徳久さんところのお祭り、その徳久さんところの、その御霊さんに対してでも、そうじゃったと思いますね。
本当に、親先生に奉仕して頂きたいと御霊様も思うとろう、徳久さんの遺族の方達も、それを思うてござったに違いない。それを、私の心の中では、もう今日は体がきつかけん、若先生に任せにゃ今日は仕様はないと、こう思うておった。ね。そこんところをです、いわば、もう三時だけれども、ね、ご無礼して、若先生に仕えさせよう、私は、ましばらく休ませて頂こうという、三時から、その三時半の間、三十分の間にそういうお知らせを頂いた。ね。
だから、三時半に起きて、いわゆる、四時のお祭りに間に合うだけのおかげを、やっとかっと頂いた中からです、例えば今日、なら、六十一節をこう頂きますから。ね。本当に神より金光大神にいつまでも尽きぬおかげを頂かせてもらうほどしのおかげを頂かなきゃならん。なら、今度は頂いた暁がです、ね、おかげを頂いた暁が、神より上になるような思いというような、そんなに神様より上になろうとは思わん。誰でも言いましょう、けれども、事実は神より上になるような状態であることに、気が付かないでおる。ね。
いつまでも尽きぬおかげを、ね、頂いておるのでございますから、いよいよ神心となりて丁寧に人に伝えて行く話をして行く、と。真の道を踏んで行くことを教えて行くようなです、信心がいよいよ出けて来なければね、ならない。それには先ず、ひとつ尽きぬね、おかげ。この調子で行きゃあ、段々おかげ、繁盛の一途を辿るというような、私は基礎をね、信心によって築かせてもらう。
そこで、また間違えてならないことはです、自分のやり方がよかった、当たったから、こうやって繁盛して行きよるんだというようなことになって行く時には、もうすでに、神より上になっておるようなものだというようなことを、今日の御理解に、私の昨日一日の体験が当てはまらんかも知れませんけれども、一つ皆さん、当てはめてですね、一つ考えて頂きたいと思います。どうぞ。